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第拾弐話 『 Tear×Eclipse×Anger×Rise 』

ああ、知らなかった。 知らなければよかった。

── 「 」 が、こんなにも幸せを引き裂き怒りを生むものだなんて ──

白い、無機質な部屋が出迎える。

ドラマでしか見たことがない作り物めいた空間の空気は、酷く乾燥していた。

まるで現実感の欠片もない、一方的に事務的な場所。

全てが滑稽に映り、口の両端が歪につり上がった。

── どうして、こんなことになってしまったのだろう

午前終業のチャイムが鳴る。

教壇に立っていた教師が去り、たちまち教室内を騒がしさが満たした。

食堂へ向かう生徒、弁当を持って屋外へ出る生徒、売店へ走る生徒。 室外へ出る人波を自席に座ったまま眺め、は密やかに息を吐いた。 机上に出していた手を膝へと下げ、用心深く左手で右腕を庇うように擦る

すでにそこに、数日前衆目に晒した三角巾と包帯は見えない。 冬へと移行する季節に合わせて、早々に臙脂のブレザーに腕を通した了の姿は、普段と何ら変わらぬ姿を取り戻していた。 だが、ノートを取る為に鉛筆を握っていた手はわずかに震え、腕に触れる左掌に仄かな熱を、全身を走る神経に脈打つ痛みを伝えている。

了は眉を寄せ、口を引き結んで痛みを堪えた。 今朝飲んだ鎮痛剤の効果が、どうやら切れかけているらしい。

俯けていた顔を上げ、了は素早く四方に視線を巡らせた。 チャイムと同時か、それよりわずかに早く教室を飛び出して売店へと走ったは、まだ戻って来てはいない。 それだけを確かめると鞄に手を伸ばし、中から薬を取り出そうと身を屈めた。

その時。

「 リョウ、飯食おうぜ!」

「 ハジメっ?」

前触れなく背後から肩を叩かれ、了は大袈裟な程肩を震わせて背後へと勢いよく顔を向けた。 途端、売店の紙袋を片手に、眼鏡の奥で瞳を笑ませている元と視線が合う。

「 見ろ、リョウ! 俺の輝かしい戦利品ズを!」

こちらが過剰に驚いたことに気づいていないのか、最初から驚かせることを目的としていたのか。 元は目を丸くする了の態度を気に留めることなく、毎度のように売店で購入してきた品を了の机の上に並べ始めた。 取り出しかけた薬の箱を鞄の底に押し込むと、出しっ放しにしていた教科書類を机の中へ仕舞い、了も毎度のように申し訳なげに机の隅に弁当を置いて包みを解く。

「 今日はオマエにもプリン進呈~ 」

「 珍しいね。ハジメが売店のプリンを俺にくれるなんて 」

「 ん~。 休みが多いみたいでさ、結構簡単に手に入ったんだ 」

パンの袋を破って一口囓りながら、元の視線が空席へと向かう。 了もつられて座る者のいない席へ顔を向け、すぐに視線を逸らした。 口に運んでいた食事が、一気に無味無臭の固体へと変わる。

「 ・・・・・・ そう言えば、孝司の奴、まだ休んでるよな。 増田も 」

「 そう、だね。 ・・・・・・ そんなに酷いのかな、風邪 」

クラスメイトを心配する色を乗せて、了は空虚な言葉を零した。 右腕を見下ろして、疼く痛みに目を瞑る。 脳裏に浮かぶのは血に濡れた体、恐怖に固まった表情、耳障りな叫喚。 見知らぬ顔と、見知った顔。

全てが終わった後で、思い出したように気づいたクラスメイトの変わり果てた姿 ──

元は、知らない。 誰も、知らない。

もうあの席が、以前のように埋まることがないのだと言うことを。 彼らの姿をこの目にすることがないのだと言うことを ── まだ。

── 少しの間、忘れさせただけよ

遅刻をしたその日、壱架に尋ねて返ってきた言葉が思い出される。

放課後、元の誘いを断って末葉と共に帰宅する途中、誰もいない道で彼女の視界を胸に埋めてかき消して、耳元に低く問うた。

「 みんなに何をしたの、壱架 」

死んでしまった者が風邪で欠席だなど、誰が信じられようか。 多くの人間が死んだことを末葉が知れば、きっと哀しむその顔を見ずにすむことは願ってもいないことだけれど、まるで生きているような死者の存在は、不気味でしかない。 自分の手で殺した者であれば尚のこと。

思わず硬くなった声に対し、ゆっくりと上げられた末葉の瞳は侮蔑を込めて了を見上げ、何でもないことのように短く告げた。

「 少しの間、忘れさせただけよ 」

「 忘れさせた?」

「 アタシ達にはそれ位、簡単なことだわ 」

「 どうして ・・・・・・ 」

「 理由なんかアタシが知る訳ないじゃない。 マスターがそうしろって言うから、アタシ達はそれに従っただけ 」

それだけを吐き捨てると、末葉の両腕が勢いをつけて了の胸を叩き、逃れるように了から身を剥がして背を向けた。

「 壱架!」

咄嗟に声を上げた了が次の瞬間に見たのは、きょとんとした末葉の大きな瞳。

「 了ちゃん?」

肩越しに振り返った心底から不思議そうな藤色の双眸に、了はただ、首を横に振ることで応えるしか出来なかった。

── 一体、どう言うつもりで

「 案外、インフルエンザだったりしてな 」

少しのからかいを含んだ元の声が、唐突に了を現実に引き戻した。

「 え?」

曖昧にしか元の言葉を聞いていなかった了の聞き返しに、元は肩を竦めて苦笑する。 縦に割ったロールパンにドレッシングをかけたサラダを挟み込み即席のサンドイッチにすると、サラダを突いていたプラスチックのフォークで宙に円を描いた。

「 他の学年とかクラスでも、月曜から風邪で休んでる奴が多いんだよ。 季節外れのインフルエンザじゃねぇかって、結構言われてんの、知らね~?」

「そうなんだ、知らなかった 」

「 ヨツも、カノジョが風邪で寝込んでるとかでテンション低いの何のって、笑えるんだぜ~。 プリンも喉を通らねぇってさ 」

「 ・・・・・・ やっぱり、プリンなの?」

吉堂の表情を真似て眉尻を下げた元に笑い、了は心に重い物がのしかかるのを感じながら、ぽつりと呟くように零した。

「 ・・・・・・ みんな、早く良くなると ・・・・・・ いいね 」

「 オレらも、油断して風邪引かないように気をつけないとな~ 」

了は弁当を口に運ぶ振りをして、何も知らずに相槌を打つ元の姿を視界外に追いやった。

その日の末葉の作った弁当は、何の味もしなかった。

白い壁。 白い布。 白い床。 煙。 ベッド。

何の音もなく、何の気配もない。 聞こえない、動かない。

目に映るものは白一色なのに、目に見えるものは深い穴の底にいるようにどこまでも暗かった。

暗くて、黒くて、どろどろと底面を這いずって、何かが足元から伸びてくる。

── どうして、こんなことになってしまったのだろう

了が遅刻をした日から一週間。

欠席知らずのクラスメイトが休んだ日から一週間。

それは、突然に訪れた。

「 亡くなった 」

担任の口から出た一言に、思考が白く塗り潰される。

珍しくきっちりとスーツを着込んで教室へ入ってきた担任の姿を七五三だと揶揄していた隣席の友人の言葉が、霞んで消え去る。 担任の口が動き、何かを言っている気配だけは伝わるが、何を言っているのか音がまるで拾えない。

気づいた時にはホームルーム終了を告げるチャイムが鳴り響き、呆然と静まり返った室内に、起立した椅子の音だけが自棄に大きく響いていた。

元は力なく椅子に座り、同じく担任の話の内容をには信じられずにざわめくクラスに視線を一周させた。 その視界の端に、親友が帰り支度をする姿が映る。 教壇には、彼を待っているらしい担任。 どうしたのだろうと、元は上手く働かない思考の中でふらりと席を立ち、いまだ右腕を庇うような仕草でいる了の元へと歩み寄った。

「 リョウ、オマエ ・・・・・・ 帰るのか?」

「 うん。 すぐにって訳じゃないだろうけど。 念の為にってことなんだと思う 」

「 何で?」

「 何でって ・・・・・・ 先生が話してたの、聞いてなかったの、ハジメ?」

「 え?」

不思議そうにこちらを窺う了に、元は首を傾げた。

担任は何と言っていただろうか。

誰と誰がどうしたと言っていただろうか。 いや、二人だけではない。 先週からどうしていた者達が皆、全員、一人残らず、どうなったと ──

「 ・・・・・・ ハジメ、大丈夫?」

頭が、頑なに考えることを拒否する。 思い出すことを拒絶する。

元は了にぼやけた意味のない相槌を打つしか出来ず、そのことに彼が心配そうに眉を寄せるのに対しても、弁解の言すら紡ぎ出せなかった。

藤咲、急げ 」

「 はい 」

時計を気にした担任に、気遣う顔で元を覗き込んでいた了が短く返事をする。 律儀に英和辞典まで鞄に詰めた了が、一度、彼の動きを目で追っていた元へと顔を向けた。

「 じゃあ、ハジメ 」

こちらを元気づけようとしてなのだろう、平時と全く変わらぬ別れの挨拶と笑顔が、わずかに元に冷静さを取り戻させた。 事実を拒絶する思考回路が、柔らかく溶ける。

担任は何と言っていただろうか。

元は、ゆっくりと言葉を探した。 けれど、表面ばかりが溶けた思考はすぐに拒絶の波に洗われて、汲み上げた言葉が次々に崩れる。

言葉の断片が、元の脳裏を渦巻いた。

先週から風邪で休んでいた生徒が皆、何らかの事件に巻き込まれた可能性が。

他の学校の生徒も何十人。 行方が。

警察が。 マスコミが。

生徒はすぐに講堂へ。 それから、すぐに帰宅を ── だから、理事の息子の了は先に、末葉と共に。

陽渡。 お前は早く講堂に行きなさい 」

頬を叩くような現実的な担任の注意に、元は曖昧に回転する思考を断ち切られた。 はっと気づいてぼやけていた眼前に焦点を合わせ、思考を現在に呼び戻す。 そして、ワンテンポ遅れて了へ挨拶を返そうとした。

けれど、了は元の言葉を待つことなく背を向け、担任について教室の外へと足を向けてしまう。

「 あ、リョウ!」

咄嗟に伸びた腕は、鞄を持つ了の右腕を思いがけず強く掴んで。

「 ── っ! 」

どさりと通学鞄が床に落ち、元の腕が強い力で了の腕から剥がされた。 同時に、元はぱしりと渇いた音を頭の片隅で聞いた気がした。 体のどこかで、小さな痛みが起こっている気がする。

「 どうした、藤咲?」

「 な、何でもないです 」

落ちた鞄を拾い上げ、元にちらと視線を投げた了の横顔は、苦痛と後悔と恐怖に染められて青く歪んで見えた。

左手に持ち替え、腕にかけられた鞄が揺れる。 その掌は、右腕を庇って動かない。

「 ・・・・・・ ごめん、ハジメ 」

か細く落とされた謝罪を最後に、元の前から了の姿がなくなる。 講堂へ向かう生徒で溢れる廊下を背に、ポツリと教室の真ん中に一人佇んだ元は、空調の所為ではなくじわりと汗ばむ掌を握り締め、数歩先にある教卓へと力任せに叩きつけた。

悲しみと怒りと憎しみとやり切れなさが、握った拳の合間から滲んで、音の余韻と共に心の奥深くへと沈んでいく。

打ちつけた拳は、けれどなぜか、まるで痛みを感じなかった。

視界が滲み、噛み締めた唇から息が漏れる。 喉の奥から込み上げるのは何だろう。

分からない。 判らない。 解らない。 わからない。 ワカラナイ。

繋いだ手、触れた肌、重ねた唇、最奥で感じた命。

これからもずっと一緒に、深く感じ合う筈だったのに。 想い合う筈だったのに。

── どうして、こんなことになってしまったのだろう

真昼の太陽を、自室から眺める。

平日の昼はどこか休日とは違う空気をまとい、異なる雰囲気を放って気持ちを高揚させる。 それは、学校で学生の本分を全うすべき日に、それに変わる等価な理由もなくそこにいないと言う、少しの背徳感が故なのかもしれない。

けれど、今日だけは、今だけは、長閑な平日の日差しも、重く沈んだ気分を上昇させる手伝いをしてはくれそうになかった。

日常を呆気なく壊した事件に、元は溜息を一つ落として手にしていた号外を床に放った。 凄惨な現実は、見るに耐えない惨状を活字の中に込めて大々的に語っていた。

力なくベッドに寝転がり、右手をのそりと目の前に持ってくる。 そして、今度は別の意味で溜息をつく。

「 ・・・・・・ 何だよ、アレ 」

ベッドから落ちて捻ったなんて、全員が注目する前ではそう言うしかなかったのだろうけれど。

「 聞けば教えてくれんのかな、リョウ 」

怒りは、湧かない。 隠されていたことを責めるつもりも、まるでない。 ただ、無性に悲しく、寂しい。

了本人の性格に大いに起因するとは言え、何でも共有しようとは言わないけれど、せめて少しでもこちらを頼って欲しいと思うのは、これは我儘なのだろうか。 以前の自分を了に重ねて見てしまった自分の、上から目線の考えなのだろうか。

「 まあ、今はそれどころじゃないんだろうけど 」

辟易する程、校門に群がっていたマスコミの数を思い出し、三度、違う意味で溜息が零れる。 今頃、了は末葉と二人、家の中にこもっているのだろう。 もしかすると、自宅にはいないのかもしれない。

流石に携帯電話は繋がるのだろうが、だからと言って、この状況に対してどう声をかければいいのか迷ってしまい、メールも電話も出来ずにいる。

理事の子供と言うだけでマイクを向ける報道人。 一体、彼らは了達に何を求め、何を得たいのか。

携帯電話を手に取り、折り畳み式のそれを開いては閉じる。

開く度に灯る液晶ディスプレイの光と、閉じる度に灯る簡易ディスプレイの光を交互に繰り返しながら悩みを頭の中で散々巡らせた後、元は鬱々とした気分を切り替えるべく、上半身を起こして大きく伸びをした。

じっと迷っていても仕方がない。 同じ場所を回って悩んでいても解決はしない。 どこでもいい、一歩を踏み出さなければどこにも光は見えてこない。

「 こう言う時は、やっぱプリンを食べて ── 」

リフレッシュするに限る。 そう続けようとした言葉は、室内の静けさを破る無遠慮な携帯の着信音に掻き消された。

丁度、閉じた携帯の簡易ディスプレイを覗き込めば、そこに映し出されたのは、特定着信音に設定している者達の誰のものでもない ── 非通知。

まるでタイミングを見計らったかのように存在を誇示する文字に、切り替えようとした気分がたちまちの内にどす黒くなる。

「 クソッ!」

吐き捨て、乱暴に着信を切って携帯をベッドに投げつける。 つけっ放しのパソコン画面に手を伸ばし、マウスを操作してメーラーを起動させると、はたして元の予想通り、新着メールが大量の画像を運んで来ていた。

新鮮な死体の折り重なった薄暗い地下の様が、画面一杯に広がる。

そこは、元も中学時代に一度ならず訪れた記憶のある場所だった。 特徴的な低い天井を這う配管の構造と散りばめられた照明、ホール最奥に一つだけあるバーカウンターの赤茶けた背景は、見間違えようがない。

「 何で、こんな ・・・・・・ 」

数え切れない程に大量の人の死。 死。 死。 死。 死。 死。 死。

斬り落とされた腕が、もう掴むことの出来ない明日への出口を求めて虚空に伸びている。 恐怖に見開かれた瞳からは希望が消し炭になった跡が見え、助けを求めて開かれたまま静止した多くの口からは、声なき声が地を這う血の流れに沿って沈殿していた。

「 こんな、こと ・・・・・・ 」

呆然と漏らした言葉に、再び着信音が重なる。 それは留守電に切り替わることなく延々と鳴り響き続け、元は自動人形を思わせるぎくしゃくとした動きで、ゆっくりと携帯電話をベッドの淵から取り上げた。かちりと簡易な音を立てて開き、耳に当てる。

「 ヤァ。 君ニハ何カ、見エテキタカナ?」

粘液のようにねっとりとまとわりつく不快な機会音声が、揶揄を含んで受話器から届いた。 元は嫌悪も露わに顔を顰め、横目でパソコンのディスプレイを見やってから、通話を切ろうと指を動かす。

けれど、それが実行に移されることはなかった。

「 久シ振リノ会話ヲ切ッテシマウナンテ、ツレナイナァ。 寂シイジャナイカ 」

一回目の着信のことを指しているのか、今まさになそうとした元の行動を指しているのか。どちらとも取れる相手の言葉に背筋が寒くなり、元は指をぴたりと止めた。 思わず辺りを見回して、そんな馬鹿なことはないと頭を振る。

相手がこちらのことを知っているとはいえ、まさか。

「 ・・・・・・ フム。 君ノオトモダチモ、巻キ込マレテシマッタヨウダカラネェ。 楽シク会話ヲスルノハ、少シ無理カナ?」

「 分かってるなら ── 」

電話をかけてくるな。 言いかけた言葉が、咄嗟に喉の奥に詰まった。

今、相手は何と言った?

「 ・・・・・・ アンタ、何を知ってる 」

「 何ヲ?」

惚けるな。 知ってなきゃ、オレの友人が巻き込まれたなんて言えねぇぞ 」

わずかな沈黙。 それは、喉の奥からのこもった笑い声に引き継がれた。

「 ソコハ、聞キ流ストコロダッタノダケドネェ ・・・・・・ 案外、冷静ニ頭ガ回ッテイルミタイダ、驚イタヨ 」

「 はぐらかすな!」

まるで真面目に取り合わない相手の態度に、元の声が刺々しくなる。

「 ・・・・・・ アンタがやったのか?」

「 コレハ心外ダナァ。 知ッイルコトガイコール犯人ダナンテ 」

「 だったら、どうして知ってる 」

元の友人が、クラスメイトが死んだことを。 一体どこで調べたのか、元のことを知っている電話口の相手のこと、交友関係まで知っていてもおかしくはないのだろうが、事件に巻き込まれたか否かを知るには、早すぎる。 その事実が指し示す真実は、一つ。

しかし、元の思いとは裏腹に、相手の声は軽快に弾んでいた。

「 被害者ノ身元ナンテ、警察ガトックニ調ベテイルンダヨ? キミノオトモダチノ名前ガソコニアッテ、ソレヲ見テイタノダッタラ ・・・・・・ ソレハ、犯人カナ? ソレニ、キミダッテモウ知ッテイルジャナイカ。 誰ガ死ンダカナンテ情報ハモウ、タダノ周知ノ事実ダヨ?」

小さな子供を諭すような口調が、元の不快指数をぐんと上げる。 けれども返す言葉は見つからず、元の口は反論のために半分程開かれてから、重く閉じてしまった。

静かな時間が過ぎる。

その時間を変化させたのは今度は元の方で、どうしても巡ってくる初歩的な疑問が、思わず口をついて出た。

「 ・・・・・・ アンタ、誰だ? どうしてオレを知ってる?」

「 詮索ハ無用ダト、前ニ言ッタ筈ダネ 」

途端に電話口の声から揶揄が消え、かすかな拒絶を示す静かな声が返ってきた。 余程詮索されることが嫌なのか、初めて聞いた相手の真面目な口調に少なくない驚きを感じながら、元はようやく冷静に言葉を選ぶ余裕を手にする。

「 アンタはオレを知ってる。 オレはアンタをまるで知らない。 フェアじゃないだろ 」

「 情報ヲ提供スル者ト、サレル者。 同ジ立場ノ者同士ガ等価交換ヲシテイル訳ジャナインダヨ? フェアデアルコトニ意味ハナイ。 キミハ、コノ関係ガソンナニ不満カイ?」

「 ・・・・・・ 少しは。 オレはアンタを 『 アンタ 』 と呼びかけるしか出来ないだろ。 情報提供者を不確定な二人称で呼び続けるのは、気分がよくない 」

「 ・・・・・・ ソウヤッテ、コチラカラ情報ヲ引キ出スノカイ?」

元の思考を見透かして、相手が笑う。

「 そんなんじゃ 」

「 冗談ダヨ 」

「 エ?」

咄嗟に言い繕った元の声に被るように、相手が笑った。 思わず聞き返した元のやや間の抜けた声にももう一度笑って、相手は電話の向こうで考える素振りをする。

「 ソウダネェ ・・・・・・ 名前ヲ教エル気ハ更々ナインダケド。 キミニ不幸ヲ運ブ ・・・・・・ 『 死神 』 ナンテ、ドウダイ?」

「 死神? 物騒な呼び名だな。 それに、死神は死に誘うだけで、不幸を運ぶって訳じゃないぞ?」

「 ドチラニシロ、物騒ナ世ノ中ニハ、相応シイト思ウケドネェ 」

「 ・・・・・・ オレを死に誘おうってのか?」

「 ソレハ、キミ次第。 与エラレタ情報ノ取捨選択ノ権利ト義務ハ、キミニアルンダカラネ 」

くすりと笑い、死神が元にどうすると問いかけてくる。

元は、口を噤んで考えた。

けれど、考えたところで元が取る道は一つしか残されていない。

こちらの行動を、すっかり逆手に取られてしまった。 取られてしまった今頃になって、詮索をするなとの意味をようやく噛み締めて理解し、後悔する。 試されていたのだと、はっきり認識する。 たとえこちらから聞こうとしなくても、向こうが機を見計らって踏み込んできていただろう。

相手の意図がまるで分からないけれど、あの最初の情報を受け取った瞬間から、元がどうしようともどう転ぼうとも、後戻りなど出来はしなかったのだ。

元は諦めと新たな覚悟で、口角を上げて口元に三日月を作り出した。

「 ・・・・・・ よく、言うよな?」

「 ン?」

「 『 死神と契約する 』 ってさ。 そんな気分だ 」

「 言イ得テ妙ダネ 」

「 やっぱり、最初からそのつもりだったな、アンタ 」

「 オヤ、コレハ失言 」

楽しげな死神の声に、元も自然と笑みを深くした。 冗談めかして、進んで問いかける。

「 契約の代償は?」

「 ソレハ考エテイナカッタヨ。 ・・・・・・ ソウダネ、イツカ、困ッタ時ニ助ケテクレナイカナ?」

「 優しい死神だな 」

「 命ヲ取ッタラ、犯罪者ニナッテシマウヨ 」

「 オーケー、分かった 」

元の了承に、一拍を置いて死神が口を開く。

「 契約成立、ダネ。 ソレジャ、マタ近イ内ニ 」

君に不幸あらんことを ── まるで死神になりきった相手の別れの言葉に苦笑して、元は通話の切れた携帯電話を優しくベッドに放り投げた。 笑みを歪ませ、パソコンに向かう。

死神の送りつけた画像に映る、変わり果てた友の姿を凝視して一筋、元の頬を涙が伝った。

── どうして、こんなことになってしまったのだろう

もう、どの位の時間そうしていたのか分からない。 気がつけば、昇ったばかりだった陽は傾き、弱い光が世界を暮れ色に照らしていた。

仄かに消毒液の臭い漂う白く清潔な廊下の片隅で、設置されたソファに浅く腰をかけ、きつく両手を握り締める。 関節が白くなり、爪が皮膚に食い込む程に強く、強く。 噛み締め続けた唇からは既に血の味が口中に広がって、舌で舐め取る度に互いで貪った口腔の感触が蘇り、抗いきれない死の味を強く感じた。

自分が愛した人は、もういない。 自分を愛した人は、もういない。

ぼんやりと、対面の白い壁を眺める。 静かな廊下。 遠くで院内放送が聞こえる。

ふと、ソファに小さな振動が伝わった。 設定された回数と間隔で、繰り返し、繰り返し。

ああ。

嫌な記憶が蘇る。 白い部屋、白い布、白いベッド。

緩慢な動作で体を動かしながら、振動しているそれを取り出し、相手を確かめる。 よく知った人間の名前が表示されていた。 が、しばらくそうして眺める内に振動は止まり、明々と照らし出されていた名前も暗く沈んでしまう。

そっと、鞄の奥に手を差し入れた。 指先が探し当てた硬い感触を引き寄せ、目の前に取り出す。 もう何度撫でたか分からない、愛した人の持ち物。 死の間際まで側にいてくれた唯一の物。

警察から手渡されてから今まで、開くことになぜか躊躇いを覚えていたそれを、思い切って開いてみる。 かちりと乾いた音がして、見慣れた液晶画面とボタンの配列が現れる。 暗いままの画面を凝視して、電源ボタンに指を添えた。

一秒、二秒。

祈るように数を数えれば、小さく起動音が漏れ出て画面に光が散った。 その光景は命が灯るのに似ていて、また視界が歪んでいく。

発信履歴、着信履歴、遣り取りをしたメールの数々。 目に映るのは、愛しい思い出ばかり。

けれどもう、この思い出達が繰り返されることはない。

待ち受け画面に戻って、生まれたままの姿で抱き合い、首筋に顔を埋めた写真を見つめる。 ベストショットだと、愛した人は自慢気に愛しげに言っていた。 そうしてまた、キスを送る。 甘く、甘く ── それらは全て、もう今では過去の産物。

再び指を動かして、今度はデータフォルダを展開させる。

そこで ── 見た。 見てしまった。

暗くて、黒くて、どろどろと底面を這いずって、何かが足元から伸びてくる。

全てが滑稽に映り、口の両端が歪につり上がる。

分からない。 判らない。 解らない。 わからない。 ワカラナイ。

コレハナニ?

レンズが酷く汚れていたのか、出来損ないの隠し撮りのようなそれは、けれどはっきりと分かる通い慣れた場所で起きた惨劇の一部。

闇に鮮やかに散る藤色の髪、存在を誇張する満月色の瞳、そして ── 紅い紅い紅い、血の色のもう一つの瞳。

周囲の闇に溶けるような漆黒の衣に身を包み、浮かび上がる白い肌に血を散らせ、妖艶に微笑んで。

すらりと伸ばされた手に握り締められているのは、照明を反射して光る血に濡れた死の刃。

コレハダレ?

頬を、暖かな流れが伝い落ちる。 喉が痙攣したように震え、くつくつと笑声が湧き上がってくる。 肩に震えが伝播し、ソファがぎしりと音を立てた。

ああ。

愛した人の声が聞こえる。 キコエル。

復讐を。 復讐を。

笑いが止まらない。昏い昏い、笑いが止まらない。

悲しいのか嬉しいのか楽しいのか悔しいのか怒りが凌駕しているのか、もう何も分からない。

顔を濡らす流れも止まらない。 ぱたぱたと落ちて、握り締める手の上へ零れていく。 熱い雫は冷たく変わり、心の中を冷え冷えとさせた。

ああ、知らなかった。

知らなければよかった。

── 「 」 が、こんなにも幸せを引き裂き怒りを生むものだなんて ──

藤咲了。

お前の存在も知らなければよかったのに。

Tear×Eclipse×Anger×Rise

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2007-06-07 00:00
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original / 『 Contract×Killer 』 / 小説 / 本編
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