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第拾話 『 Indifferent×Lust×Lackey 』

「 『 無欲 』 だとか 『 願い 』 だとかってのは綺麗な言葉だけどさ 」

── 「 病気 」 だよねぇ、欲望に無関心な従僕なんて

一部、残虐で猟奇的な表現が含まれます。

「 マスター、これはどう?」

鏡の中で、ご機嫌な表情の壱架の後ろから顔を覗かせて、しなやかな両腕を小さな体に回した。 その手には、一着の服。

「 袖が長い 」

鏡の前に腕を組んで立つ零は、ひらひらと揺れる袖を一瞥して素っ気なく返す。 その声に、壱架は嫌な顔をせず、すぐさま別の服を手に取って零の体に合わせた。

「 じゃあ、これは?」

「 ・・・・・・ うん、イイね。 ボクの趣味じゃあないけど、着ていくと喜びそうだ 」

「 それを着るなら、このズボンが似合うわよ、マスター 」

床一面に並べられた服。 その中から一着のズボンを選び出し、壱架は零に差し出した。 零はそれを手に取り目を落として、鏡の前で合わせて一つ頷く。

「 へえ、イイね 」

「 そうでしょ? あ、これを着ていくなら ・・・・・・ 帽子は、この猫耳帽子がいいわ!」

「 ・・・・・・ 帽子はいつものでいいよ、壱架 」

「 駄目よ、マスター。 昼間にわざわざアタシを呼び出したんだもの。 色々と大変だったんだから ・・・・・・ これにして。 ねえ、弐巴もアタシの帽子の方がいいと思うわよね?」

心底から楽しそうな壱架が、いつものように零の傍に座り込んで興味がなさそうに二人の姿を眺めていた弐巴に笑顔で迫る。 その笑みは脅迫めいて、弐巴は渋々頷きかけ ── 零の視線に射抜かれて直前で首を左右に小さく振った。

「 ホラ、弐巴もこっちのいつもの帽子の方がイイって 」

「 アタシのセンスが悪いって思われるじゃない!」

「 ・・・・・・ それは、遠回しにボクのセンスが悪いってことなのかな、壱架?」

愛用の帽子を手にした零の双眸が微笑みながらゆるりと壱架を見上げ、壱架は己の失言を悟って笑みを固まらせる。

「 ヤ、ヤァネ ・・・・・・ だ、誰もマスターのことを言ってないわよ? ほら、弐巴って犬だから人様のセンスなんて理解できっこないわねって ・・・・・・ 」

「 へえ。 ボクは犬と一緒で、人様のセンスなんて理解できっこないんだ?」

はっきりと分かる零の笑顔が壱架に向けられ、更なる失言に気づいた壱架は、咄嗟に手にしていた帽子を遠くへ放り投げて零の手の中から帽子を奪い取った。 軽く手櫛で零の髪を整えて帽子を被せると、その姿を鏡の前に押し出す。 そして、何度も大きく頷いた。

「 うん、うん! マスター! 凄くよく似合うわ!」

「 ・・・・・・ 壱 ── 」

零の両肩に手を置き、肩口から顔を覗かせて大袈裟に納得する壱架に零の視線が刺さった、その時。

「 アッハハ。 もう、ダメ。 おかしすぎて嗤っちゃう 」

零の言葉を遮るように男の声が割り込み、二人と一匹の視線がそちらを向く。

「 ホントにそれでも、『 我らが偉大なる 』 マスター?」

嘲りを隠そうともしない声に、壱架が嫌悪と怒りで表情を険しくした。 先程まで笑みを象っていた唇はきつく結ばれ、常からつり上がった瞳は敵意を宿して隠そうともしない。 すっくと零を庇うような位置に立ち、いつからそこにいたのか、にやついた笑みを浮かべて壱架達を眺める長身の男を ── 同じ十二使徒が一人、燎牡を ── きつく睨み据えた。

「 ああ、壱架 ・・・・・・ そんなに怒らないで。 まあ、怒った顔もカワイイんだけど、オレはマスターのセンスが悪いって言ってるだけ。 壱架と同意見でしょ? そんなに怒ることないんじゃない?」

「 アンタね ・・・・・・!」

「 ほらほら、あんまり眉間に皺を寄せると癖になっちゃうじゃない。 綺麗な顔がダシ 」

壱架の表情がますます険悪になるのを横目に笑い見ながら肩を上下させて、燎牡が芝居がかった嘆きの声を発する。 同時に、壱架の踵が高らかに鳴り響いた。

「 黙りなさい! 同じ十二使徒なのに、マスターのことを ・・・・・・ 」

「 いいよ、壱架 」

「 マスター!」

嫌悪を露わに声を荒らげた壱架を止めたのは、零の落ち着いた声。 納得いかないとばかりの壱架に口元の笑みを見せ、零は燎牡を無視するように背を向けると、その姿を大人のそれにする。 黒い衣がなびき、わずかばかり周囲に漂う闇に濃さが増す。

「 そんなことよりもね、壱架。 今度は、大勢のヒトの快楽に溺れた死をアリスにあげて欲しいんだ 」

「 あーらら、オレは無視? それってつれなくない? たかが、アンタが創った十二使徒の一人でしょ。 ソイツに図星つかれたくらいでそんなに拗ねてんじゃないよ 」

「 燎牡!」

創造主に対するにあるまじき燎牡の態度に、壱架が肩を怒らせて一歩を踏み出す。 だが、続く壱架の怒りの声は、すいと伸ばされたしなやかな腕に身を絡められて止まった。

「 壱架。 ・・・・・・ いい子だから 」

壱架の耳元で零が囁き、透き通るような白い手が壱架の切り揃えられた淡紅色の前髪をかき分ける。

「 マ、マスター ・・・・・・?」

一瞬で怒りを忘れた壱架に零のいつもの冷笑が降り注ぎ、流れる動きで薄い唇が壱架の額に軽く触れて離れた。 次の瞬間にはその姿を闇に微睡ませながら、零は呆ける壱架の手になにがしかのものを握らせると、最後に醒めた双眸を燎牡に投げかけて闇に溶ける。

あとに残されたのは呆然と立ち尽くす壱架と心底から面白くない顔をした燎牡、そして、今の間に荷物を背に置かれて萎れる弐巴の姿だけだった。

陽の落ちた歓楽街は、昼間見る閑散とした姿とは真逆の様相を呈していた。 着飾った女性があちらこちらの店先で道行く男性を呼び止め、その斜向こうではスマートに着崩したスーツに身を包んだ男性が、言葉巧みに遊び好きそうな女性に近づいている。

そんな通りを横目に一つの建物の前で立ち止まったは、感情と言う感情が殆ど伺い知れない端正な顔をわずかに傾げ、隣に立つ壱架に問うた。

「 ここ?」

「 そうよ 」

了の前にそびえるのは、繁華街によくある雑居ビルの一つ。 いかにも若者向けと言った明るい看板が外壁に沿って眩しいネオンを振りまき、それに引き寄せられるように次々と建物内へ消えて行く遊び好きそうな若い男女は、どこか火に入る虫に似ていた。

今もまた、秋も深まり肌寒くなってきた季節を無視した恰好の数人の少女達が、ちらちらと了達に視線を投げかけながら地下へ続く階段へ姿を消していく。 楽しそうな少女達の姿を目の端に、了は手元の時計に一旦目を落とし、止まっていた足を動かして壱架を促した。

「 行こう、壱架 」

が、了の歩みは唐突に襲った首元への圧迫感によって、たった二歩進んだだけで止められてしまった。 何事かと視線を落とせば、きっちりと締めた襟元をつかんだ壱架の、普段見慣れた色とは違う穏やかな大地色をした双眸に出会う。

「 オマエ、血以外でこの服を汚したらただじゃすまさないわよ?」

冷ややかな壱架の視線が念を押す様に睨みつけて、了は壱架へ素直に一つ頷きを返した。

「 ・・・・・・ 気をつけるよ。 借り物だからね 」

「 分かっているならいいわ 」

言うが早いか、了の腕に壱架の細腕がしなやかに絡みつき、黒紅に染め抜かれた長く柔らかな髪が了の肩に触れる。

「 壱架?」

普段ならば、了に触れることも了が触れることも厭って一定の距離を置く壱架の唐突な行動に、了はわずかに両眼を見開いた。 途端、末葉よりは高い位置に触れていた小さな頭が、上機嫌二割不機嫌八割と言った珍しい表情を見せる。

「 着ているのはオマエでも、服はマスターのものだもの。 こうでもしてやらなきゃ怪しまれるでしょ。 ・・・・・・ それに、今日のアタシは機嫌がいいの。 アンタがアタシに触れるのも、少しくらいなら我慢してやるわ 」

早口に吐き捨てると、壱架は端から見れば恋人同士にしか見えないような完璧な所作でもって了に軽くしなだれかかり、少しの躊躇いのあと、了は壱架の腰にそっと手を添えて寄り添った。

少女達が下っていったのと同じ、簡易ライトが明暗を彩る半地下の店内への階段を下る。 味気ないコンクリ壁が四方を囲ったところで、了は一旦歩を止めた。

まず目についたのは左手の壁に飾られた、とりどりの色が踊りうねって形作られたネオン。 大小の羽虫の群がたかって、視界をちらつかせる。 了はその様を一瞥してすぐに反対側、分厚い黒紅のカーテンが半分程かかった受付からの人の気配に、そちらを伺った。

「 ・・・・・・ お客様、申し訳ありませんが本日は ── 」

「 コレでしょ 」

カーテンの隙間から二人の姿を認めた受付の、若い男の声。 断られることを予想しなかった了は内心で戸惑ったが、傍らの壱架は予想ずみだと言わんばかりにおもむろにバッグに手を入れると、どこで手に入れてきたのか二人分のチケットを取り出した。 腕だけを差し伸ばして、叩きつけるように提示する。

「 ああ。 ・・・・・・ ようこそいらっしゃいました、本日の特別ゲスト、壱架様と藤咲了様ですね?」

一拍の間を置いて、薄いガラス向こうの店員が緩くウェーブを描いた髪を揺らし、壱架の態度に気を悪くするどころかさもおかしそうに微笑んだ。

瞬間、了の全身が警戒に固まり、壱架の表情が険しく変化する。

そして、壱架が了の影から店員の姿を覗き見ようとわずかに体をずらし、了の注意が半瞬壱架に逸れたその時 ──

「 まったく、怖いねぇ。 ちょーっとからかっただけで、そんな物騒な物を手にされたら笑えないじゃない?」

背後から、からかいを存分に含んだ店員の声が了の耳朶を打った。

「 ── っ!」

反射的にナイフを握った了の右手が半闇の空間に銀の軌跡を描き、右側面に触れた吐息を振り払うように背後を振り返る。

「 おっと 」

ぱしりと乾いた音が壁に反響し、振り上げた了の右腕の動きが止められた。 ふわりと波打つ髪が照明に揺れて相手の口元が弧を描き、脇の壱架が息を呑む。 そして、了も、眼前に現れた人物を認めて驚愕にガラス向こうの受付を見やった。

が、そこに望んだ人影はなく ── それどころか、人の存在した気配すらなく ── 了の視線は自然な流れで自分の腕を止めた者へと戻る。

「 うーん、反応はまずまず。 ヒトにしちゃあ、上出来。 しっかしその恰好 ・・・・・・ こう言うの、何て言うんだっけ? 馬子にも衣装? ・・・・・・ いや、違うか。 それは、着てるヤツを貶すことになるんだから ── 」

驚きで声を失う了を前にして、受付にいた筈の店員は慣れた手つきで了の腕からナイフを奪い取ると、のんびりと構えて一人、了の恰好をしげしげと眺め始めた。

ところどころにベルトや銀の鎖のあしらわれた、漆黒色のコート。 幾重ものひだが体の細いラインを取り巻く様にシルエットを作り、ベルトで止められた前身頃から覗くのは、襟の高いシャツと周囲を飾る銀細工の宝飾品。 ネオンの光を受けて鈍い光を放つ細鎖が了の動きに合わせてちりちりと小さな音を立て、毛足の長いファーの先には了の前髪が垂れて絡まり、小さな流れを作っている。

この場に元がいたならばさぞや驚くだろう了の恰好を、頭の天辺から足の先まで品定めするように眺める店員。 彼の双眸は、先程了が受付で見た時には濃緑色をしていた筈が、今は闇夜にも映える熱く滾った血色をしていた。 薄い唇が軽薄な笑みを刻み、いまだに事態を飲み込めていない了を嘲笑する。

「 な ・・・・・・ 」

「 ── どうしてアンタがこんなところにいるのよ、燎牡 ・・・・・・!」

了が口を開くよりわずかに早く、怒りで一オクターブ低くなった壱架の声が通路に響いた。 その動きに合わせ、コルセットで締められた腰部から広がる深いスリットの入った布地が、壱架の動きに合わせてふわりと舞う。

現在の壱架も、了同様に普段とは毛色の違う衣服に身を包んでいた。 店員の血色の双眸が、じっと壱架に注がれる。

大きくくつろげた胸元には、幅広のチョーカーから黒色滴の宝玉が流れるようにひだを作って白い肌を彩っている。 細い両腕を覆う黒の布地は紐で縫い止められ、袖口から続く柔らかなレースが地に届く長さで風に漂うドレス姿。

「 ああ、壱架は凄くよく似合っているよ。 でもねぇ ・・・・・・ 仕方ないとは言え、その髪の色は少し残念。 勿論その色もいいけど、やっぱりオレはいつもの色の方が好きかな?」

「 燎牡!」

高いヒールが硬質な床に鋭く響き、壱架の腕が了の時よりも乱暴に遠慮なしに店員 ── 燎牡の胸座をつかんだ。 壱架の横顔は、今にも噛みつかんとする怒れる雌猫のようだ。

空気を振るわせる壱架の怒声に、数秒の沈黙が落ちる。 燎牡はじっと壱架を見下ろしてからその表情が一向に変わる気配を見せないことを知ると、流石に笑みをすっと納めた。 つまらなそうに肩を竦めて、いまだに呆然とする了の手に取り上げたナイフを投げて返す。

「 ・・・・・・ どうしてここにって言われても、オレはいつも通りここで仕事をしてただけ。 壱架達がオレの仕事場に来たの。 怒鳴られる筋合いはないよ?」

首を締めつける壱架の両手にそっと触れて放そうとしてその手をはね除けられながら、燎牡が苦笑してそっぽを向いた壱架を見やる。 そして、視線だけをゆるりと了へと向けて口角をわずかに上げた。

「 あ ・・・・・・ 」

「 面と向かって会うのは 『 初めまして 』 だねぇ、藤咲了? オレは燎牡。 壱架と同じ、十二使徒。 ・・・・・・ オレのことはよく覚えておくことだよ、藤咲了。 今後も幸せに暮らしたいなら ・・・・・・ ね 」

紅玉の瞳がぎらりと光を宿し、白い肌に裂かれた紅い口から白い牙がちらと覗く。 かと思った次の間には、ぱんと小気味よい音と共に燎牡の顔に営業用の微笑が貼りつけられ、打ち合わされた手が了の肩に伸びて店内へ向かって背を押された。

「 もう開始時間はとうに過ぎていますから、お急ぎ下さい、お客様 」

「 燎牡?」

「 邪魔はしないよ、壱架。 少し、余計なお世話で手伝ってあげるけど ・・・・・・ 断るのは懸命な判断じゃない。 ここの勝手はオレがよく知っているからね。 ・・・・・・ だから、存分に殺してくるといい 」

その言葉を最後に、嘲笑しているのか侮蔑しているのか薄弱な燎牡の笑みを背に、了は壱架と共に薄暗い店内へと足を踏み入れた。

初めに鼻腔を刺激したのは、煙草の匂い。次いで音量を抑えたバックミュージック、熱気とまとわりつく様なざわめきが二人を包む。

扉をくぐり細い通路を抜けた先で二人を出迎えたのは、配管やダクトが剥き出しの低い天井を持つホールだった。 狭くも広くもないホールのぐるりにテーブルと椅子やソファが並べられ、入口から最奥にあるカウンターから飲食物が次々と出されては客の手に渡り、グラスの鳴る音が遠く近く聞こえる。 アルコールの所為か、それとももっと別のものの所為か、常とは違うどこか異常な雰囲気がホール全体を包んでいた。

了の顔が、途端に嫌悪に歪む。

「 おい。 んなトコにつっ立ってんじゃねぇよ 」

室内の空気に思わず足が止まっていたらしい了の脇を、柄の悪い若者が文句と共に通り抜けた。 わざとらしく了に肩をぶつけ、弾みで了は大きく壱架へと傾いで壱架の眉が吊り上がる。

「 オマエ ・・・・・・ ッ 」

「 ──? おいおい! こりゃ驚いた! マジかよ? お前、藤咲だろ!」

苛ついた壱架と、了に肩をぶつけた男の声が重なる。 刹那、了は感情の一切を顔面から消し去った。

「 ハハッ! ンだよ。 優等生してんのはガッコの中だけ、お前もしっかりやるコトやってんじゃねぇか! つーか、女連れって何だよ、自慢かお坊ちゃん? あぁ?」

「 ・・・・・・ 煩い 」

アルコールを摂取しているのか、高揚した気分そのままに声を上げる男にすいと了の右腕が伸び、今来た通路の暗がりへ押し込んで無造作に男を突き飛ばす。 小さな呻き声、ごとりと重たい音と共に男の体が床に倒れ込み、その下から黒い泉が湧き出て広がった。

「 ちょっと、勝手に何するのよ。 マスターは大勢の一度の死が望みなのよ? いきなり殺してどうするの 」

「 じゃあ、あのまま喋らせていた方がよかった? 壱架は、ああ言う品のない人間は嫌いだったよね?」

「 ・・・・・・ フン。 ヒトごときが何を喋ろうとアタシは気にしないわ 」

感情を見せず淡々と喋る了に、壱架の高慢な声がすぐに応える。

「 ・・・・・・ そう。 でも、俺は気にするよ。 それに、どうせみんな殺すんだから、一人や二人先に死んだって ── 」

大して変わらない。 そう紡ごうとした言葉は、程近い席を陣取る集団の上げた歓声や奇声にかき消され、誰の耳に届くことなく空気に溶けた。

了の無表情が再び崩れ、顔が歪む。 脳裏にちらつくのは、末葉の涙。 血の色の悪夢。 柔らかく冷たい肌の感触。

長い前髪に隠れた瞳がちりちりと熱く膿み、了の全身に重く苦しく甘やかな人間の昏い感情がまとわりついて首を絞め始めた。 同時に、どこか甘美な誘いのある感覚に、了は仄かに熱い吐息を吐き出して頭を一つ振る。

「 ・・・・・・ 早く、終わらせよう 」

了はきっちり締めていたタイを緩め、ホールの中央、たむろする若者達に足を向けた。

「 あっれ? 藤咲?」

擦れ違いざま、学校でよく耳にする声に名を呼ばれる。 だが了はそちらを見向きもせず、返答のように何気ない仕草で右手を軽く挙げただけで、歩みを止めることはなかった。 直後、了の背後で二つ目の死体が出来上がる。

人集りの中に倒れたクラスメイトはたちまち、死に気づかない人の苛ついた声に埋もれ、ホールに充満する快楽のざわめきに違うものが混じり始めた。 その中を、了と壱架は平然と進む。 そんな了に向かって、三度人の声がした。

「 ネェネェ、キミ、待ってよ。 待ってってば 」

了の腕が挙がる ── が、衣服の隙間からナイフの刃が顔を覗かせる前に、壱架の腕がそれを止めた。

「 壱架?」

「 ・・・・・・ 燎牡よ。 アイツが動かしてるオンナ 」

焦点の合わない虚ろな瞳で、けれども頬を上気させ陶然とした表情の少女が了の手を柔らかく掴み、上向かせた掌に何かを握らせて微笑む。

「 ずうっと見てたの。 さっき来たばっかりでしょ? まだ貰ってないみたいだから、アゲル。 今日のはね、いつものよりすっごくすっごく気持ちヨクなるの。 個室とトイレは、アッチ。 あと ・・・・・・ 非常階段も 」

じゃぁ、楽しんでね。 少女はそれだけを言うと人の波の中に紛れて了達の視界から消えた。 了は手に握らされた物を見下ろして、興味なさ気な瞳で壱架と顔を見合わせる。

「 ヤァネ。 こんなモノでしか快楽を得られないなんて、ヒトって莫迦?」

「 得られないんじゃなくて、きっと ・・・・・・ 欲しいんだよ 」

「 ナァニ、ソレ? やっぱり莫迦なんじゃ ── 」

言いかけた壱架の言葉が不自然に途切れ、了の隣から壱架の姿が消えた。 驚く了の視界を壱架の腕の先、長く伸びた布地が横切って後方へ流れていき、その流れに乗って届いた男達の下卑た笑い声が了の右眼を疼かせた。

咄嗟に右眼を手で覆い、左腕を壱架へ伸ばす。 だが、了の体は了の望んだ動きをすることなく、後方から伸びてきた腕に捕らわれて押さえつけられてしまった。 驚いて見上げれば、明らかに周囲の人間とは年の離れた男達の顔が幾つも照明を浴びて立っている姿が目に入る。

「 ヤクモの言ってたゲストっての、お前らだろ?」

「 毎度、あいつの仕事に外れがないって嬉しいね 」

「 さぁて。 用意はいいか?」

見れば、いつの間にかたむろしていた若者達は了達を囲むように存在して、全員がその顔にこれから展開される事態 ── 彼らにとってのイベント ── を期待する色が浮かんでいた。 その中で、突然の出来事にわずかに放心でもしていたのか、少しの間を置いて壱架の怒声と派手な音が響く。

「 気安く触るな!」

男の腕を振り払った壱架の行動に、周囲からどっと笑いが沸く。

「 んー、イイ反応。 それでなくちゃ面白くない 」

「 カノジョは、お坊ちゃんみたいな綺麗どころがお好み?」

「 そんな冷たいこと言ってないでさ ・・・・・・ オヒメサマ、俺らの上で愉しく踊って頂けませんか?」

男の一人が戯けた仕草で、壱架に恭しく手を差し出す。 対する壱架の返答は、乱れた髪を梳き上げての一蹴。

「 ヒトって、ホントにくだらない生き物ね。 アンタも、いつまでぼーっとしてるの?」

すげなくはねつけられた男と、壱架の態度に周囲から再度の笑い声が上がり、どこかからは男を揶揄する野次が飛んで更に笑いを誘った。

「 ・・・・・・ そりゃ、ねぇんじゃねえの?」

男が、わずかに怒りを覗かせた相貌と声音で、背を向けて了へと歩む壱架の腰に腕を回して引き寄せる。 刹那、二撃目が男の頬に向かって放たれ、先程より一層大きな音がホールに響き渡った。

「 ヒトの分際で、このアタシに気安く触るなと言っているのよ!」

男の頬が紅く腫れ、壱架の長い爪が裂いたのだろう、そこに数本の紅い筋が生まれる。 途端に男の顔が怒りに染まり、周囲からは、相変わらずそんな彼らの遣り取りを単純に楽しんでいるだけの声が上がってホールの空気が妙な方向へと動き始めた。

「 ったく ・・・・・・ こっちが優しくしてやってりゃあ、いい気になりやがってよ?」

「 あーぁ。 怒らせちゃったよ 」

血を拭った手がポケットから簡易ナイフを取り出すのを見て、別の男が苦笑する。

「 でもまぁ、イイ子にしない子にお仕置きは必要だよね 」

合図は、その一言だった。

「 壱架!」

了の対面にいた男が、壱架へとナイフを振り上げる。 了は素早く体を捻って拘束する腕から逃れると、名を呼ばれたことに首を傾げる壱架の腕を引き、自分の胸へ抱き込んだ。

直後、銀の軌跡が了の腕を深々と裂き、鮮血が照明に照らされて床に散る。

「 ・・・・・・ っ!」

「 何やってるのよ、オマエ! マスターの服が!」

「 ・・・・・・ 怪我はない、壱架?」

誰かの指笛の鳴る音がホールの空気を震わせた。 ナイフを持った男や取り巻きは思わぬ了の動きに目を瞠り、取り囲む観客達はいっせいに騒ぎ出し囃し立てる。 その中で、了は壱架を抱いたまま血を流す手を衣服の裾に隠してナイフを握り、一つ静かに息を吸い込んだ。

了の見る世界にじわりと紅が満ち、何十何百の感情が渦を巻いている様が手に取るように浮かび上がる。 それを一瞥して、了はそっと壱架に囁いた。

「 壱架は、離れていて 」

肩を柔らかく押して壱架から離れ、了の足はナイフを握った男へと向かっていく。

「 どうした? 女を取られそうになって怒ったか? それとも、その腕の怪我か?」

「 壱架は俺の女じゃないし、怒ってもいないよ 」

「 は?」

「 俺はただ、しなきゃいけないことをするだけ。 その最初が君だってだけだよ 」

男の正面に立った了は、わずかに高い位置にある男の顔を見上げると、無造作に右腕を振るった。 光が弧を描き、紅い噴水がホールの低い天井に向かって噴き上がる。

瞬間、ホールの空気が凍りついた。 ざわめきが嘘のように引いて、一瞬間、時が止まる。

ぱたぱたと、血が降る。

首を深々と裂かれた男の手からナイフが落ち、乾いた音を立てて床を滑った。 次いで、ゆるりと男の体が傾いでいき ── どうと倒れる。 じわりじわりとコンクリ床に広がるは紅い染み。 びくりびくりと痙攣する男から、了の足元を縫って幾重もの枝が伸びていく。

── 憎悪ノ、イロ ──

── 死ノ、イロ ──

── イトシイヒトニササゲル ・・・・・・ 悦ビノ、イロ ──

「 末葉の為に ── 死んで 」

しんと静まったホールに、影のように染み込んで広がる了の声。 ふわと舞った銀の弧が、了の最も近くにいた観客の一人の左胸へと突き立った。

無差別。

誰もの脳裏に、三文字が浮かんで消えた。

「 ひ ・・・・・・ っ 」

誰かが引きつった小さな悲鳴を漏らし ── 混乱の幕が上がる。

了と死体を中心にして、大きな悲鳴が淀んだホールの空気を引き裂いた。 了の落ち着き払った瞳が悲鳴の上がった方向を見据え、ナイフが呼応するように照明の光を反射した。

恐怖の濃度が増す。

一歩、了が水音を立てて進めばざわりと人の群が波打ち ── 次の瞬間、悲鳴と怒号が轟いて全ての人間が出入り口へと殺到した。 押し合い、圧し合い、倒し、蹴り、殴り、突き飛ばし、我先にと閉じられた鉄製の扉のノブに手をかける ──

だが。

「 な、何で開かねぇんだよ!」

「 助けて! 誰か助けてよっ!」

しっかりと鍵のかけられた扉は助けを求める手を完全に拒絶して沈黙し、叩いても引いても押しても、ぴくりとも口を開けない。 そこに、了がゆっくりと近づいて左腕を振るった。

「 駄目だよ、逃げちゃ 」

左袖からワイヤーが飛び出し、次々と恐怖に歪む首を刎ね飛ばす。 暖かな血汐が了に降り注ぎ、髪を、頬を、衣服を血に濡らして死を溢れさせていく。

「 て ・・・・・・ っ、てめぇ!」

不意に逃げ惑う悲鳴の中に異色の声が上がり、了は視線を背後に巡らせた。 その視界を、鋭い光が過ぎって慌てて背をそらせる。

「 こ、殺してやる!」

叫んで、再びナイフの凶刃が了を襲う。 最初に殺した男の取り巻きが一人、必死の形相で了を睨んでいた。

一閃。 了の右脇の空間を薙ぐ。

一閃。 左側面を真っ直ぐに通り過ぎる。

身を低めて躱した了は、直後にふっと無意識に口の端を持ち上げ、ナイフを思い切り振り上げて男の顎をかち割った。 不自然な形で空中で止まった男の眼窩からナイフに突き刺された眼球が飛び出して、ぼとりと床へ落下する。 それを目で追った了は、感心をなくしたように男の頭からナイフを抜き取ると、踵を返して出入り口へ殺到する人の群の中にワイヤーを飛ばした。

「 いやぁあああああっ!」

悲鳴が了を取り巻く感情に色を添え、首元を絞める力がわずかに強まる。 恐怖が淫らな快感を凌駕して空間に充ち満ち、了の唇が笑みを象った。

ナイフが、ワイヤーが宙を舞っては血が噴き上がり、その度に悲鳴と逃げ惑う足音が続く。 いつの間にかホールを支配するのは凄惨な血の臭いばかりになり、あれ程漂っていた煙草の香りもアルコールの匂いも香水の香りも、快楽に添えられていたもの全てが死に消えていた。

「 助けてぇ! イヤ! 死にたくない!」

「 ま、待てよ、待てよ。 た、確か ・・・・・・ 奥に、非常階段が ・・・・・・ っ 」

迫る了の姿に恐怖しながらも誰かの発した言葉に、まだ死から逃れられている者達の足がいっせいに動き出した。 入口とは反対側に存在する小さな希望に、再び必死な足音が殺到する。 しかし ──

「 莫迦ね。 逃がしてやる訳ないでしょ?」

いつの間にか本来の色を取り戻した壱架が扉の前に立ち塞がり、見下す瞳で口の端を歪めていた。 肩にかかった髪を払い、迫る男達の顔を撫でるような仕草で手を振れば、たちまち男達の瞳から光が失われて力の弱い女達を羽交い締めにしだす。

「 何するのよ! 馬鹿! た、助けて!」

「 アンタ達の欲しがっていた快楽の夢を見ながら死ぬといいわ 」

侮蔑の視線で床に倒れ伏す人間達を睥睨する壱架の先で、了が右袖を振るって何本もの鋭利な光を頭蓋に叩き込んだ。 そうして、助けを求める声と恐怖に叫ぶ声が失せた空間で、了が一つ息を吐き出して壱架に歩み寄る。

「 壱架、ありがとう 」

「 アンタが殺しきれなかったら、マスターに怒られるのはアタシなの。 別に、アンタの為にしてやった訳じゃないわ 」

「 そうそう。 しっかり殺してもらわなきゃ困るのはオレ達なの 」

心外だと言いたげな壱架の言葉に、第三者の声が続いた。 その姿を認めた途端、壱架の表情が嫌悪を露わにしてすっと身を引く。 だが、ほんの少し髪と衣服に乱れと血痕の見える第三者 ── 燎牡を見て、片眉を不思議そうにつり上げた。

「 ・・・・・・ アンタ、何してたの?」

「 心外。 ちゃんと伝えてあげたでしょ、この扉の先は個室だって。 でも、いつまで経ってもこっちに来る気配がなかったから、殺してきてあげたんだけど 」

お礼の言葉は? 燎牡が壱架へ片目を瞑って催促する。 しかし、それに対して壱架は気持ちの悪いものを見たとでも言いたげな表情になって、燎牡から距離を取っただけだった。

「 相変わらずつれないんだから 」

燎牡は一度肩を竦めて、視線を壱架からホールへと移すと、もう一度大袈裟に肩を上下させた。

「 ・・・・・・ にしても、見事な殺しっぷり。 流石のオレも呆れるね、藤咲了 」

「 ・・・・・・ そう?」

「 でも、詰めが甘いわ 」

壱架の指摘に、かたりと、横倒しになった机の一つから人の動く気配が三人に届く。 了が真っ先にそちらを向くと、机の影から一人の男が現れ、憎悪を漲らせた相貌で了達を睨みつけてきた。 反射的に了はナイフを構える。 が、男の体は返り血と己の出血によって紅く染まり、何より根本から切断された左腕の出血が酷く、顔色は蒼白を通り越して最早土気色に変化していた。

放っておいても数十分とせず死んでしまうだろう。 そう判断した了は警戒を和らげ、足掻く男の最期を無言で見つめた。

その男が、震える声に力を入れて了の名を紡ぐ。

「 ふ ・・・・・・ じ、咲 」

「 ・・・・・・ 誰 ・・・・・・ だっけ?」

見覚えのない顔に首を傾げて、血溜まりを避けながら了は少しの興味に惹かれて男へと近寄っていく。

「 君、誰?」

「 お、前が ・・・・・・ 殺し、て、いたのか?」

助けを求めようとしていたのだろう、携帯電話を血にまみれた手に握った男が片眼を血に潰されながら、すぐ傍まで来た了を見上げて掠れる声を上げた。 了は、感情を読ませない無表情を顔面に貼りつけて、男に答える。

「 ・・・・・・ だったら、どうするの?」

「 何で、殺した 」

「 ・・・・・・ あの人が、望むから 」

「 あの、人?」

「 そうすれば、末葉を返してくれるんだ 」

「 う、れは? いも ・・・・・・ うと?」

「 そう。 僕の大切な大切な、大好きな末葉 」

「 何 ・・・・・・ 言って、んだ?」

理解不能と言いたげな瞳が了を映す。

そんな、訳の分からないことの為に? その為だけに、これだけのことをしたのか? 今日だけではなく、今までも ──

無言で問いかける男に了は急速に興味が失せていくのを感じ、拒絶を示す為にゆるりと瞬いた。

「 ・・・・・・ もう、いいよ。 だから、君も僕の末葉の為に ── 死んで 」

血に濡れたナイフの刃が、ぎらりとした輝きを男の目に落とす。 反射した光は乾ききった弧を描く了の口元をも鮮やかに彩って、男が無念を滲ませて天井を仰いだ。

「 藤咲 ・・・・・・ っ! お前は ・・・・・・ っ 」

「 さよなら 」

呟いた言葉に確かな肉の手応えが応え、屈んだ了の頬に新たな血が流れを作る。 その下で、男が最後の力を振り絞って、けれど意味を成さない言葉を血と共に吐き出した。

「 ・・・・・・ げ、ろ。 お、ま ・・・・・・ っ ・・・・・・ し、ぉ ・・・・・・ 」

助けを求めたのか、了へ一矢報いようとしたのか。 心臓へナイフを突き刺された男は携帯電話を握りしめた腕をゆるりと伸ばしかけ ── 了が見下ろす前で、それは言葉が完全に消えてしまうと同時に虚しく血の床に落ちて、それきりぴくりとも動かなくなった。

ぴしゃりぴしゃりと、天井を這うダクトに散った血が床へ落ちる音だけが、静まりかえった空間に響く。

「 ・・・・・・ これで、終わった ・・・・・・ かな?」

苦しみのなくなった首元を撫でて、了が零す。 その顔には、この場には似つかわしくない心からの安堵が浮かんでいた。

── 末葉 ・・・・・・ ──

一度ふわりとした笑みが浮かび、すぐに無に戻って了は男に背を向ける。 そして、月色に戻った瞳が何事もなかったように壱架に告げた。

「 帰ろう、壱架 」

ぽたりと、天井から血が滴り落ちる。

全てが死に絶えた空間に一人佇んで、燎牡は了と壱架の去っていった非常階段への入口を見やって口元を歪めた。

「 藤咲了、ね 」

変な奴。 極小さく呟いて、ふっと首を振る。

「 違うか。 あれはもう、何と言うか ・・・・・・ 狂ってるねぇ。 カワイソウに 」

殺すことを何とも思わず、ただ一心に、あの男が大切な者を返してくれると本気で信じて。

いくら創造主と言えど、死んだ者を生き返らせることなんて出来訳がないと言うのに。

大切な者の為にと言いながら、命令に従って動くだけの、あの男の従僕。

けれど、その顔に時折笑みが浮かんでいることを、あの従僕は気づいているだろうか。

欲が満たされることから来るものではない、ただ純粋な狂気と言う名に彩られた、幸せが。

「 本当に、変な奴 」

これだけの死体を作り上げておきながら、抱くのはたった一つの言葉だけ。

そこには、望みも願いも愛欲も淫欲も ── どんな欲望もない。

「 『 無欲 』 だとか 『 願い 』 だとかってのは綺麗な言葉だけどさ 」

それにしたって。

── 「 病気 」 だよねぇ、欲望に無関心な従僕なんて

「 ツマラナイ男 」

鉄錆びた空間に、燎牡の声が虚しく響いて落ちた。

Indifferent×Lust×Lackey

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WebClap
いいんじゃない?いいねいいよいいよーGJ !最高 !!
Date
2006-12-31 02:41
Category
original / 『 Contract×Killer 』 / 小説 / 本編
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